歴史・沿革
当社の歴史は古く、そのルーツは江戸末期までさかのぼります。当時は沖合いに見えた貨物船の入港を知らせる法螺貝や鐘の合図で、臨港部落(濱・川原町)の漁師たちが港に集まって積卸荷役作業を行っていたと伝わっております。
瀬戸内海中央付近の港で潮の干満差が大きく遠浅である事から、貨物船は沖合いに停泊させて艀(ハシケ)に積み替え、満潮時に入港させて潮が下がる前に積卸作業を終え出港させる必要がありましたので、とりわけ迅速さが求められておりました。もちろん、その創業当時の精神は現在に引き継がれております。
また、当社は地域と港湾の発展とともに歩んでまいりました。ここでは、当社と三島港の沿革をご紹介いたしますのでぜひご覧ください。
【参考文献】
宇摩郡案内(大正3年)
伊豫三島案内(大正6年)
沿革
1865年 (元治年間) |
当社の前身組織である『運輸組』が三島港で港湾荷役を開始。
地域住民(漁師)が主として従事し、農産物や紙・鉱石・石炭等を取り扱っていた。 |
1910年7月
(明治43年) | 三島商工會創立時、当時『運輸組』組頭の「武村文七」が商工会員に就任。 |
1917年9月
(大正6年)
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三島駅竣工時に出張所を開設し、荷馬車等を利用した貨物運搬を行っておりました。
このころの港での貨物取扱量は月間2千トン余りです。
下画像に『運輸組』とあるのは、駅の開業を記念して出版された観光案内に寄稿した広告で、従業者は140名とあり当時の隆盛を窺うことができます。
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1925年10月 (大正14年) |
『銅山川疎水事業期成同盟会』が結成され、常任幹事に前述の「武村文七」が就任し、 疎水事業公営化に向けた運動を展開。 |
1926年11月 (大正15年) | 三島紡績所や三島火力発電所の操業開始に伴い、原綿や石炭等の貨物取扱いが増大し、既存の港湾では狭隘となっていた事から三島港修築工事が起工される。 |
1931年6月
(昭和6年)
| 修築工事が竣工し、防波堤の整備に加えて港内の浚渫・埋立・荷揚場・護岸・桟橋が完成した事で定期船等の直接接岸が可能となり、荷役作業が大幅に効率化されたので他地区の貨物も三島港で定期船に積み込むようになった。
このころ、寄場組織から『三島運輸組』として組織化する。
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1954年
(昭和29年) |
戦後、伊予三島市制の施行に伴い地域製紙産業発展の為に港湾整備を基本方針の一つとして掲げ、港湾施設整備事業が実施され、三島港西埠頭・物揚場の築造が着工される。 |
1955年6月
(昭和30年)
| 『三島運輸合資会社』として発足 『一般区域貨物自動車運送事業』免許取得、三島港発着貨物限定で営業開始。 |
1960年
(昭和35年)
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港湾施設整備事業に基づき、三島港東埠頭・物揚場の築造に着手され、翌年(昭和36年)に竣工する。
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1965年5月
(昭和40年) |
改組して資本金300万円で『三島運輸株式会社』設立 |
1975年5月
(昭和50年) | 資本金900万円に増資 |
1982年9月 (昭和57年) |
社員用の送迎車両を取得(伊予鉄道より) |
1983年9月 (昭和58年) | 「宮川倉庫」が竣工(2階:現 本社事務所) |
1984年2月 (昭和59年) |
宮川倉庫前に他力走行式クレーン(吊り上げ荷重4.9t)を設置 |
1984年5月
(昭和59年) | 資本金1,800万円に増資 |
1984年6月
(昭和59年) | 『通関業』許可取得 |
1985年1月 (昭和60年) | 『倉庫業』許可取得 |
1985年8月 (昭和60年) | 「川之江倉庫」(1,998㎡/605坪)が竣工 『自動車運送取扱事業』許可取得 |
1989年7月
(平成元年) | 『内航運送取扱業』許可取得 |
1992年11月 (平成4年) | 「新浜倉庫」(4,479㎡/1,357坪)が竣工 |
2004年8月
(平成16年) | 『産業廃棄物収集運搬業』許可取得 |
2011年3月
(平成23年) |
本社事務所移転(国道交差点拡張及び国道拡幅の為)及び、 金子地区臨海土地造成地に「金子倉庫」が竣工 |